武の聖地・名古屋
神話の剣から、天下統一の夢へ
日本の「武」という精神は、どのように受け継がれてきたのだろうか。神話に登場する草薙剣から、武家政権の始まり、そして天下統一への道のりまで。名古屋という一つの土地に刻まれた、武の系譜をたどる旅へ出かけよう。
- スポット数
- 3箇所
- 移動距離(概算)
- 約6.7km
- スタート地点
- 熱田神宮
- ゴール地点
- 名古屋城
熱田神宮
愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1-1
三種の神器の一つ、草薙剣を祀る神社。日本武尊の妃・宮簀媛命が剣を祀ったことに始まるとされ、伊勢神宮に次ぐ格式を持つとされる。境内には桶狭間の戦いの勝利を信長が奉納した「信長塀」も残る。
旅の始まりは、熱田神宮。ここに祀られる草薙剣には、日本武尊が困難を乗り越えた神話が息づいている。まずはその物語に耳を傾けてみよう。
草薙剣伝説
日本武尊が東国平定に赴く際、駿河国で敵の火攻めに遭い窮地に陥ったが、叔母の倭姫命から授かった天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で周囲の草を薙ぎ払い、迎え火を放って難を逃れたという。この故事にちなみ、剣は「草薙剣」と呼ばれるようになったと伝えられる。日本武尊の没後、剣は妃の宮簀媛命によって尾張国の熱田の地に祀られ、これが熱田神宮の創祀とされている。
登場人物: ヤマトタケル
次は源頼朝誕生伝承地へ — 徒歩約5分(目安)
源頼朝誕生伝承地
愛知県名古屋市熱田区伝馬2丁目
源頼朝の誕生地との伝承が残る一帯。頼朝の母は熱田大宮司家の出身とされ、熱田の地は頼朝の出自を語る上で重要な土地とされている(伝承であり、諸説あることに留意)。
熱田を離れ、頼朝出生の伝承が残る地へ。武家政権という新しい時代を切り開いた源頼朝もまた、この尾張の地と深く結ばれていた。
鎌倉幕府の成立
1180年、源頼朝は伊豆で挙兵し、以仁王の令旨を掲げて平氏打倒の兵を挙げた。石橋山の戦いでは敗れたものの、房総半島で勢力を立て直し、鎌倉を本拠として関東の武士団を組織化していく。1185年の壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした後、1192年に征夷大将軍に任じられ、日本初の本格的な武家政権である鎌倉幕府を確立した。頼朝の出自を巡っては、母方の熱田大宮司家との関わりが深く、尾張・熱田の地は頼朝を語る上で欠かせない土地とされる。
登場人物: 源頼朝
次は名古屋城へ — 少し距離があります(直線距離約6.3km)。電車やバスの利用がおすすめです
名古屋城
愛知県名古屋市中区本丸1-1
徳川家康の命により、九男・義直の居城として1610年から築城された城。天守閣の金の鯱(しゃちほこ)で知られ、尾張徳川家の権威の象徴として名古屋の街の基盤を築いた。
旅の終着点は名古屋城。桶狭間で天下取りの一歩を踏み出した信長の志は、家康によって受け継がれ、この地に結実した。
天下布武への道
1560年、尾張国の織田信長は、大軍を率いて尾張に侵攻した駿河の今川義元を桶狭間で奇襲し、これを討ち取った(桶狭間の戦い)。この勝利を機に信長は勢力を急速に拡大し、「天下布武」の印章を用いて天下統一への意志を明確にしていく。信長の事業は本能寺の変により中断されるが、その志は同盟者であった徳川家康らに引き継がれ、家康は関ヶ原の戦いを経て江戸幕府を開き、天下統一を完成させた。名古屋城は、家康が豊臣方への備えと尾張支配の拠点として、その子・義直のために築かせた城である。
歩いてみると、つながって見えてくる。
一つひとつは別々の場所に見えても、実際に歩くことでひとつの旅としてつながって見えてくる。
- 神話の剣 熱田神宮
- 武士の誕生 源頼朝誕生伝承地
- 天下統一への道 名古屋城
この旅程は、アプリでそのまま使えます
この記事で紹介したスポット・スケジュールをまるごと書き出したファイルを配布しています。ダウンロードして、Bunny Journeyアプリの「スケジュール」タブ→「インポート」から読み込むと、この旅程をそのまま持ち歩けます。
※ アプリがまだの方は、先にApp Storeからインストールしてください。