朝鮮出兵――今度は日本から海を越えた
歴史事件
元寇から300年余りが過ぎた1590年、豊臣秀吉は北条氏を降し、全国統一を成し遂げた。天下人となった秀吉は、次に明(みん、当時の中国王朝)の征服を構想し、その足がかりとして朝鮮半島への出兵を決定する。1592年(文禄元年)、出兵の拠点として、玄界灘に面したこの地に築かれたのが名護屋城である。名護屋城は完成当時、大阪城に次ぐ規模を誇ったとも言われ、周辺には全国から集まった大名たちの陣屋が100以上築かれ、一帯は一時期、数十万人が滞在する巨大な城下町のような様相を呈したと伝えられる。ここから朝鮮半島へ向け、大軍が海を渡った(文禄の役)。戦況が膠着すると一時休戦・交渉が行われたが、交渉が決裂すると1597年(慶長2年)に再び出兵が行われ(慶長の役)、1598年の秀吉の死をもって日本軍は撤退した。刀伊の入寇、元寇と、二度にわたって海の向こうからの脅威を退けてきた九州北部は、この時、今度は自ら海を越えていく大軍の出発点となったのである。現在、名護屋城跡には天守台をはじめとする石垣が残り、玄界灘を望む高台からは、かつて大軍が渡っていった、その海を今も眺めることができる。
登場人物
豊臣秀吉
見るスポット
名護屋城跡
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