真田昌幸
真田昌幸(さなだまさゆき、1547-1611)は、信濃国小県郡出身の武将。武田信玄に仕えて頭角を現し、武田家滅亡後は織田・北条・徳川・上杉のあいだを巧みに渡り歩きながら、独立した領主としての地位を固めた。1583年、千曲川に面した尼ヶ淵の断崖を天然の堀とする上田城を築城。1585年の第一次上田合戦、1600年の第二次上田合戦と、二度にわたり寡兵で徳川の大軍を撃退したことで知られる。関ヶ原の戦いで西軍についたため、戦後は紀伊国九度山(現在の和歌山県九度山町)に配流され、赦免されないまま同地で没した。豊臣秀吉から「表裏比興の者」(老獪で一筋縄ではいかない者、の意)と評された、戦国屈指の軍略家である。次男は、のちに大坂の陣で名を馳せる真田信繁(幸村)。
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上田城、二度の大軍撃退
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上田城
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